東京には(空はなくても)『ぴあ』があった【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」10冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」10冊目
対する『シティロード』も表紙は旬の映画の主演俳優などのイラストで、たとえば1983年3月号は『評決』のポール・ニューマンだ。イラストレーターは勢克史。もちろん達者な筆なのだが、達者すぎるというか号によってタッチが変わったりして、イメージがいまひとつ固定されない。1984年4月号からは、黒鉄ヒロシに交代し、ついでにロゴも判型も変わった。その後もロゴ、判型、デザインが何度も変わり、表紙もイラストから写真に変わったりで、どうも落ち着きがない。結局、1992年に休刊、エコー企画から西アドに版元が変わって再出発したものの、94年を最後に姿を消してしまった。

今回あらためて当時の『シティロード』を見てみると、インタビュー記事や名物の「ロードショー星取表」など、読みごたえは確かにある。「[変貌する映画環境]~上板東映の終焉から西武資本の映画進出~」(1984年4月号)なんて硬派な記事もあり、無記名のロードショー作品紹介も書き手の独断と偏見に満ちて面白い。『ぴあ』では〈いかにもアメリカらしい主人公のサクセス・ストーリーは、日本でも若者たちの共感を呼び、現在大ヒット中〉と紹介する『愛と青春の旅だち』を、〈やっぱ、なんですね、フツーの人ってのは、こういうそこそこ新しくて、根っ子はしっかり古いメロドラマが、安心してみられるんでしょうね〉と書いちゃうのが『シティロード』。先に知ってればこっちを買ったかもしれないが、いかんせん最初に手にしたのが『ぴあ』だったからしょうがない。ヒヨコの刷り込みのようなもので、『ぴあ』を買い続けることになったのだった。
とはいえ、『ぴあ』が無味無臭だったかというと、そうでもない。「特集PFF TIMES VOL.2」(1983年3月25日号)では、ハリウッド映画全盛の時代に東南アジア、オーストラリア、ブラジル、アフリカなどの作品と人気スターを紹介している。〈まず、世界一の映画生産国はインドなのだ〉というのも今では常識だが、当時はほとんど知られていなかったに違いない。〈恋愛映画全盛のインドでは最近になって軽いキスならOKとなったが、体の線が出る水着姿があれば、もう成人指定〉など、各国の性描写事情に触れた記事もある。
巻頭の「PIA NEWS NETWORK」も映画、演劇、音楽、美術の最新情報がぎっしり。1983年4月8日号には「’83音楽シーンに春の嵐!? 動き出したYMO」と題してメンバー3人のインタビューや活動年表が載っている。同じ号には「これでいいのか? 洋画配給・興行の現状」なんて記事もあり、「国立劇場の素顔、40億円の文化とは?」(同年4月22日号)では、2025年現在、建て替え問題で揺れる国立劇場の予算内訳や動員内容に斬り込む。ボリュームこそ多くはないが、それなりに読みごたえのあるページはあったのだ。
読者同士の熱い議論が交わされたり、編集部への厳しい意見が載ったりする『プガジャ』や『シティロード』のそれに比べればおとなしめではあったが、読者投稿コーナーもしっかり確保されていた。題して「YouとPia」。言うまでもなく「あなたとぴあ」と「ユートピア」を掛けたネーミングだ。
NHKの少年ドラマシリーズについての投稿を見て〈とってもうれしくなってペンをとりました〉と自分の思い出を綴り、〈今度はNHK宛に書こうと思います。これを見た誰かが、またNHKに手紙を書いてくれたら…と思います。そうしたら、いつか再放送が実現するかも知れないですよ〉と呼びかける人がいれば、アニメ『クラッシャージョウ』を見に行ったら〈上映中にシャッター音をさせている奴が、なんと2人もいた〉と憤慨する投稿も。今なら映画泥棒として逮捕されるが、当時はいろいろゆるかったのだ。